2010年03月07日

平敷屋エイサー解説2

さて、もう少し詳しく説明していきましょう。

入羽は東西とも秋の踊り(道輪口説)で入場する。
このときの太鼓打ちの動き、
前進しつつ頭上から大きく打ち下ろしながら腰を落とすという、
まぁ、どんだけ腰入ってんねん?というアクロバット?です。

円陣を作ってから2曲(七月節、二合節)を踊り、
それ以降は東西で曲が違うのですが、
それぞれの曲にあわせて会場中央で二列の隊形になります。
20070827-6.JPG
二列のまま恒例の曲や新曲を披露しますが、
20070827-7.JPG
新曲は東西それぞれがよくよく考えて選曲しているらしく、
20070827-8.JPG
これも毎年の楽しみといえますね。
20070827-9.JPG

最後に出羽をかねてもう一度会場全体を使って円陣を形作り、
20070827-10.JPG
名残を惜しむかのように退場していきます。
20070827-11.JPG


当然エイサーの練習は厳しいはずです。
また東西に分かれていることも技の向上に大きく貢献していると思われます。
20070827-12.JPG
昔から東のエイサーは男性的、
西のエイサーは女性的といわれています。
素人目にはわかりにくいかも知れませんが、
確かに東の太鼓打ちはたたき方が力強く、より腰を落とし、音にあわせて動きがより直線的です。
西の太鼓打ちは全体の動作が音より遅れがちでやわらかく、曲線を強調してるようにみえます。
20070827-13.JPG
実際に平敷屋のエイサーに近い踊りをしたことがある人がみれば、
違いは歴然としてるんですが、
何と言えばいいか、
ほんまちょっとしたことなんですよね、違いって。
たとえば同じ東西同じ曲でも出始めの体の向き、
わざと逆にしていたりとかね・・・。
いや、マニアックです。


と、解説はこれくらいにしておきます。
ちょっとだけ、平敷屋エイサー謡から、
いい部分抜粋してお送りします

<東のエイサー謡から>
遊ばちん美らさ、踊らちん美らさよ、ユーイヤサー遊びうちゃがゆる、我島又二才達、ユーイヤサー、ユーイヤサー!!!

<西のエイサー謡から>
タキノー森ぬ月や、月風ん美らさ、でぃちゃよーうしちりてぃ、眺みやい遊ば、四方景色ぬ美らさ、ディチャヘクナードンミカセー、平敷屋ぬ島やバチクワイやさ!!!


ちなみにここに載せている写真、
一応うーくいの夜のエイサーの時間の経過とともにとったものです。
20070827-14.JPG
うーくいの日は平敷屋の神屋のまえでエイサーを披露するわけですが、東は東から、西は西から入場という風に長年培われたしきたりがあります。

順番は毎年交互に前後します。
神屋のまえのエイサーは年々見物人が増えてきてまさにイモ洗い状態。それでかどうかは知らないけど次の日、
もっと広い場所でエイサーの夕べが開かれます。

このエイサーの夕べ、別の見所があって、
青年団のエイサーのまえに子供だけの平敷屋エイサーが楽しめます。
子供エイサーとバカにすることなかれ、
内地の私たちが年をとってから付け焼刃で覚えるエイサーとは雲泥の差があります。
やっぱエイサーは幼少の頃から培われるものなのかなぁ・・・




この点に関して以前メンバーが出会った景色を御紹介。

「土曜の夕方空地でエイサーごっこで遊んでいる平敷屋の園児たち、
年長がマルチャーで秋の踊りも歌いながら始まる、
he-foto4.jpg
女の子は手踊り、
新聞紙で作ったカンプーのナカワチにダンボールにへしきや!!
その子どもたちアイスワーラーと冷たい飲み物を差し入れしたら、
平敷屋のかぜーと返してくれた!」
posted by heshikiya tamotsu at 19:08| Comment(0) | 平敷屋えいさーって? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月17日

平敷屋エイサー解説1

旧盆の頃の沖縄はまさにエイサー一色。
20070827-1.JPG

平敷屋エイサーの起源は古く、
その発生年代は明らかでないらしいのです。

沖縄のエイサーは旧暦7月15日、
先祖の霊を送り終わる頃、
若者達が村を練り歩きながら、
無病息災と家々の繁栄を祈願しながら踊るものです。

さてさてそもそもエイサーの原型とは何でしょう?
自然発生?
いえいえ一説では琉球王朝時代、
日本から浄土真宗の念仏歌が伝播し、
これがエイサーの原型となったのではといわれています。

時代を経て、
ご先祖様をお送りするのにふさわしい儀式的な歌踊りが、
時代とともに改良を重ねられ、
地域の特色をのこしつつ今に伝えられているものと考えたいですね。

平敷屋エイサーは、
数あるエイサーのなかでも特に伝統色を残したものとして知られています。
20070827-2.JPG

例にもれず、
平敷屋エイサーも次代次代へと受け継がれていく毎に改良を重ねた結果、
今の形となっているということは言えると思います。

昔から変わらない平敷屋エイサーの最大の特徴として、
すべての構成員が25歳以下で占められています。
20070827-3.JPG

構成は地謡、旗持ち、太鼓打ち(テークチリ)、
手踊り(ヂーヌー)、甕持ち(ハントゥー)、
中わち(チョンダラーみたいな役)といろいろある。
同じ平敷屋で東西に分かれていることから考えても,
沖縄の小さいシマ(村の意味)によくぞこれだけの青年がいてくれたもんだと思えます。
20070827-4.JPG

平敷屋エイサーの見所はもちろんその若さ、
太鼓打ちの入羽から出羽まで一糸乱れぬバチさばき、
腰を落としたままの姿勢で勢いを抑えに抑えた優雅な足さばき、
僧侶を思わせる白黒の衣装、
隊列の見事さ、
地謡の渋い声と三線からくりだされるわざとテンポを落とたエイサー唄、
その唄の歌詞、
手踊りのいかにもシマの風景を切り取ったような踊り、
中わちのこっけいな踊りと指笛など、
言い出したらきりがありません。
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2へ続く
posted by heshikiya tamotsu at 22:09| Comment(0) | 平敷屋えいさーって? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

平敷屋の位置

平敷屋エイサーって、何?

って言う前に、
まずは平敷屋の場所を確認。



沖縄の真ん中あたりを右側に移動、
海中道路なるものがある半島の付け根に平敷屋はあります。

沖縄では一味変わったエイサーとして有名な平敷屋。
はるか昔の統一琉球王朝時代、
クーデターの拠点となった勝連城があるのは平敷屋を含む与勝半島。
関係ないかもしれないけど沖縄の中でも一風変わった文化を有し、
中でも芸能においてはことさら逸材を輩出し続ける土地柄です。

でも実際平敷屋に行ってみると・・・、
そのあまりにも平凡(何も見所がない)景色に呆然とすることでしょうふらふら
posted by heshikiya tamotsu at 21:05| Comment(0) | 平敷屋えいさーって? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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